世界的造形チーム・海洋堂を創った、宮脇修のビジョンから学ぼう

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この記事では世界的造形チーム・海洋堂を創った、宮脇修のビジョンから学べることを書きます。
大阪・守口の小さな卸売りの模型店にすぎなかった海洋堂が、いかにして世界的な造形クリエイターを抱える企業に成り上がったのか。
それは創業者・宮脇修の圧倒的なビジョンがあったからです。

何かを始める時は、みんな同じです。何もないところから始めなくてはなりません。お金もない、ノウハウもない、協力者もいない・・・。
ただ、一銭もかけずに、一人で装備できる武器があります。それがビジョンです。
趣味でも仕事でも、「続けること」が一番難しいことです。

お金がなければ、金策に苦しまざるをえません。望まない仕事をしたり、頭を下げなければいけないこともあります。ノウハウがなければ、技術の習得に時間がかかります。協力者がいなければ、孤独な作業に耐えなければいけません。

これらの困難と長期間付き合っていくために、ビジョンが有効なのです。ビジョンさえ明確なら、いつでも「今自分はどこに向かっているのか」「今自分ががんばっているのは何のためなのか」を思い出すことができるからです。
ビジョンを持つために、宮脇修のビジョンから学んでいきましょう。

 

1.自作PR誌を発行してビジョンを周りにアピールする。自分を追い込む。

 

宮脇修は、とにかくことあるごとに自分の考えを文章にして、周りにアピールしています。
「創るたのしみをすべての人に」という海洋堂のキャッチフレーズを作って、顧客に自らの方向性をアピールします。
「〇〇の模型、絶賛発売中!」ではなく、「創るたのしみをすべての人に」です。現時点の売り上げにこだわりすぎるのではなく、視線は遠くを見ています。

宮脇はやる気になれば、すぐにPR誌を作ります。
模型業界初の本格的なPR誌「海洋」を創刊したり、自らの理想や提言を主張することをとまどいません。
言いたい放題言うわけですから、同業者から反発されたり、総スカンをくらったりするのですが、それでも宮脇は止まりません。

 

今でも海洋堂が主催するガレージキット即売会・ワンダーフェスティバルのカタログの巻頭言において、若者や同業者にメッセージを送り続けています。
周りに「自分の考えはこうだ!」と主張することは、自分を発奮させたり、やらなければいけない状況に追い込む効果があります。

今だとSNSやブログに自分の考えを主張できるツールがそろっています。自分のビジョンを掲げ、たとえ賛同や反響が得られなくても、それは自分を奮い立たせる旗になるのです。

 

2.模型はアートである!子どものおもちゃで終わらせない、理想の旗を高く掲げることで、周りも発奮させる。

 

宮脇は「アートプラ」を提唱して、子どものおもちゃにすぎなかった模型をアートの次元まで高めよう、というビジョンを掲げました。
そのために、帆船模型を作って、海洋堂に展示しました。

帆船模型の完成品は社長など資産家に評判が良く、高値で売れました。ですがそれで模型がアートだと世間的に認知されたわけではありません。

1980年代に入り、SFブームに乗じて、模型界にガレージキットブームが起きました。

ガレージキットとは
レジンキャストなどで少数生産される組み立て式の模型のこと。

 

小さな模型店だった海洋堂はこの頃、大きな倉庫を改造した建物に場所を移しており、ここの大きなスペースを利用して、ガレージキットを作る若者たちが集まる梁山泊にしました。

その有象無象の若者たちは、長く海洋堂に留まり、現在は立派な職人造形師となり、他の企業にはない、海洋堂だけの財産になっています。
しかし当時はただ場所を取るだけの、お金を稼ぐことのできない若者たちでした。

その若者たちに場所を与え、社員にして給料を与えて生活の基盤を与え、ものづくりに集中できる環境を与えたのが宮脇です。
彼らの必死にものづくりする姿に、宮脇の「模型をアートにする」というビジョンを重ねたのでしょう。

宮脇はさらに、若者たちが創った原型を用いた商品に、必ず原型制作者の名前を入れました。これは現在でも続いている海洋堂の習慣です。「企業の商品」である前に、「個人の作品」である。それは模型がアートだからです。

また、原型師である若者への「自分の作品に誇りを持て」というメッセージでもありました。そのおかげか、若者たちは模型でメシの食える作家に育っていったのです。

 

3.ホビー館(模型美術館)を建てる!理想を具現化させて、夢を叶える。子どもたちに夢を与える。

 

宮脇が、小さな模型店時代から、客の子どもたちに宣言していた夢がありました。それがホビー館(模型美術館)を建てることです。

模型はいつか必ずアートになる。アートを飾るべきところは当然、美術館(ホビー館)である。そういったビジョンから、初期の時代からホビー館の構想は宮脇の脳内にあり、社員にも社長ではなく「館長」と呼ばせていました。

そして現在、ビジョンは現実のものとなりました。風が吹けば飛ぶような小商いの模型店だった海洋堂は世界的に認められる模型メーカーとなり、海洋堂の模型はホビー館に飾られています。

滋賀県長浜市に海洋堂フィギュアミュージアム黒壁。宮脇修の故郷・高知県に海洋堂ホビー館四万十と、海洋堂かっぱ館があります。

 

終わりに

ビジョンという理想の旗を掲げる、そして少しづつ現実をにじり寄せていく。海洋堂の歩みは、正に宮脇修のビジョンの実現への歩みです。
目の前にどんな困難があっても、常に理想を掲げることを忘れず、念じ続けていたからこそ実現があったのです。

 

興味を持った方への読書の手引き

「造形集団 海洋堂の発想」は宮脇修の息子で現・海洋堂社長の宮脇修一による著作です。
海洋堂がどういった経緯で今のような会社に至ったのかが、興味深く読めるように書かれています。
読みやすく、面白いので最初の一冊はこちらがおすすめ。

この本を読んで、さらに深く知りたいと思った方は宮脇修の大著「創るものは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」をおすすめします。
450Pほどの大著ですが、宮脇修の考え方やビジョンがたっぷりと吸収できる名著です。

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